私はたぶんまあまあ普通の父親をやれていると思いますが、今思うと「あれは虐待親になるかどうかの分かれ目だったな」と感じて、背筋が寒くなる出来事もありました。

娘を足で蹴った

ある日、家族で私の実家に行って、そろそろ帰ろうかと話していたときのこと。娘は小学4年生だったかな。娘は座ったままゲームボーイに夢中になって、そろそろ行くよと言ってもなかなか腰を上げませんでした。

そして、私は娘の頭をつま先でチョンと小突いたんです。「聞いてんのか!」って、イラっとした言葉を浴びせながら。

その時、私の母が「何やってんの!子供を蹴るなんて!」と私を叱り付けました。

それを聞いた私は、確かにこれはやってはいけないことだな、と思い、反省して、それ以降は少しでも暴力的な感じがすることは一切やらなくなりました。

今思えば、これが、私が虐待親になるかどうかの分かれ目だったと思います。

暴力は、乗り越えるための壁として「手頃」

世の中には虐待をする親が少なからず居るようですが、それは誰もが陥る可能性のあることだと思います。

父親である私から見ると、上に書いた出来事のとき、どんな気持ちだったかというと、

「娘と血縁がなくても、私はこの子を厳しく立派に育てる。そのためにはなんでもする。だから、『娘を蹴る』という、やってはいけなそうなことだって私はやる。それぐらい娘を大事に思っている。だから蹴るのだ。」

という考えが、頭の中にあったと思います。こうやって改めて文字にして書くとなんじゃそれって思う方が大半だと思うんですが、目の前に子供が居て、なにか気負いがあるとそう思ってしまいがちなんですよ。

なんというか、子供を蹴るっていうのは暴力的なことで、それをするのは壁がありますよね。その壁を乗り越えるぐらい、私は子供のことを思ってるんだ!って思いたいがために、蹴ってしまうんです。よい親ならば、それをやることはよいことかどうかをまず考えると思うんですけど、テンパってる親にとっては、何でもいいから障壁を乗り越えて子供に対して何かをやることが、自分が親としてちゃんとやっているっていう証明だと思っちゃうんですよね。そして、「何でもいいから障壁を乗り越えていることを見せたい」と思っている親にとって、乗り越えるための障壁として手頃なことが、暴力を振るうことだと思うんですよ。

自分に自信があったり、子供のことを深く大切に思っているまともな親ならば、それはやるべきじゃないという判断ができるはずです。でも、育児は長い長い時間がかかります。その長い時間の中では、基本的には「良い親」であっても、仕事に追われたり悩み事ができたりして、判断力が低下することもあるでしょう。その意味で、誰もが陥る可能性のある落とし穴だと思います。

私も、この出来事の時は、会社での仕事に悩み疲れ、また、娘が自分の子供になったばかりで、テンパっている時期でした。危なかったと思います。私は幸いにも母に叱られて、虐待親への道を歩まずに済みました。さんざん結婚に反対していた母が、結婚後にはこうして私と私の家族を救ったのですから、人生わからないものですね。