2012年3月11日の東日本大震災。多くの人が亡くなりましたが、ウチも心配で胸が破裂しそうな夜を過ごしていました。妻の実家が岩手県の太平洋沿岸、釜石市だったんです。

当然、私と妻の結婚前は娘も妻と一緒に住んでいました。2人暮らしではありましたが、ばあちゃんの家から徒歩5分くらいのところだったので、ばあちゃんと妻と娘はまさに家族そのもの。毎日行き来する仲でした。

その後、私と妻が結婚して、私の住む埼玉県に2人は引っ越してきたんです。娘が小学3年生の時でした。

そしてあの震災。釜石には全く電話が繋がらない状態が4日ほど続きました。ばあちゃんが生きているか死んでいるかわからない状態で、3日過ごしたんです。あの重苦しい空気は、今でも忘れることはできません。もしかしたら死んでいるんじゃないか。いや、でも家は海岸の近くじゃないし・・・いや、でも・・・、と不安に押しつぶされそうになりながら、私の家族はそれを言葉には出さず、淡々と家の片づけをしたり、計画停電の備えなどをしていました。

そして4日目。やっと電話が繋がり、話すことができて無事を確認できました。ばあちゃんが生きていることがわかった瞬間、娘は緊張が途切れた様子で、涙を流して私の腕にしがみついてきました。当時、娘は高校2年生。私は、よしよし、といった感じで娘の頭をポンポンと叩きながら、そういえば娘の体に触れるのは何年振りだろう、とぼんやりと考えていました。私も私で、張りつめていた気持ちが緩み、何も考えられない状態でした。

その日の夕食の頃には、いつもの家庭の雰囲気に戻っていました。立ち直りの早い、強い娘に育ってくれたな、となんとなく思ったのでした。